第一回梗概: 河野 & 猿場からのコメント:目次
hiromitomo 輪廻する人工知能
hiromitomoさんの輪廻する人工知能
- 輪廻転生+人工知能という二物衝突は効いている一方、輪廻転生というアイデアはもっと活かせそうです。このお話では「良いことをすると記憶抹消後も良い人工知能になれる」というポジティブで和やかな転生についてしか語られていませんが、悪いことをした人工知能や、悪い老人と暮らした人工知能はどうなるのでしょうか。老人と人工知能の生活に深刻な困難はなかったのでしょうか。いまの梗概は雰囲気はありつつも良い話で終わってしまっているので、なにかの葛藤を含めた方が面白いと思います。(河野)
- 人造人間が老婆の元へ来る→成長する→今際の際に輪廻転生についての話を聞く→桜が散る中引き取りに来るのを待つというシーンの流れと詩情、切なさが伝わってきていい感じだと思いました。避けがたい契約終了と避けがたい死が共に条理であり不条理でもある対の構造になっているのも個人的には好きです。梗概だと契約の真の内容が神の視点で明かされる感じになっていますが、それを人造人間目線だとどの段階で知るのか、どう知るのか、あるいは老婆は契約について完全に理解しているのか? などが気になりました。契約の内容を後で明かすことで読み手の心を動かすのか、事前に明かしておいて不条理さを際立たせるか。書き方は色々ありそうですね。老婆の死生観がどうなのか? それは一般的なのか(一般的な日本人と同じなのか)その死生観をどう人造人間に語るのかが気になりました。人造人間をどの程度”弱いロボット”的に描くのかもキモになりそうです。”弱いロボット”なのに「輪廻転生」の概念だけ素直に理解でき、自分にとっての輪廻転生へ思いを馳せられるのは少々都合が良いようにも思います。思考力/感情/記憶/死生観など、人造人間の環世界をどう設定するか。実作が楽しみです。内容ではなく、形式の問題ですが、改行いれるとよいです。変に人工知能の設定を凝ると破綻しそうなので、ハオジンファンなどを参考にいい感じのAI設定を作るのがいいかも(猿場)
山本真幸(やまもと まさき) アンプルリセット
山本真幸(やまもと まさき)さんのアンプルリセット
- ウサギの死因が孤独というのはコミカルでもあり面白いのですが、そうであればケントの父親の死因も孤独だったということでしょうか。ウサギは機械式であるにもかかわらず「アンプルウォーター」を混入させれば感情が持てるようになるのはどうしてでしょうか。「セチメント型」の人間の近くにいると「アンプル型」の人間も感情がリセットできなくなるのはなぜでしょうか。「アンプル」による感情分離が行われるようになった経緯はどのようなもので、政府に転送されたデータは何に使われているのでしょうか。プロットや設定の細部の論理は詰めていた方が疑問なく読める話になると思います。去年の猿場さんの最終実作「その感情雨(あめ)が降るまで」も参照するとよさそうです。(河野)
- 感情はあらゆるタイミングで生じるので、感情を抽出する設定をいれるときは何がどの程度抜き取れるのか、いつまで持続するのかを練らないとお話が破綻してしまいそうです。また、情動(に伴う表情の変化)は感情と独立で生じる場合もありそうなので、そのあたりの設定の作り込みがほしいところです。作品世界はディストピアなのか、それなりにいい世界なのかも気になりました。スタンスと読者へのメッセージを決めると良いでしょう(つまり、アンプルが普及した背景の設定を詰めるということ、それがどういう社会を生み、人々の間にどういう喜びや苦しみがあるのか等)。お話の流れとして、ウサギの死に立ち会い、ケントに出会う→カーシュラはケントと交流し、自身の変化に気づく→両親にケントの交流をやめるように言われ、ケントを忘れる→ケントが罪?を告白するなのですが、各シーンに次のシーンに繋がるフックがないように思えます。ケントの父の死因が割と重要そうなのですが、自殺? 病死? 事故死?ケントがその感情髄液をもって何を確かめたいと思っているのか気になります。そこにドラマがありそう。なので、ケントとカーシュラにどこかでその話をさせると良いかもしれないです。(猿場)
髙座創 マスターピース辿って
髙座創さんのマスターピース辿って
- 「AIには描きたい物がない(ので良くない)」というお話の前提がすでにかなり難しい問題を孕んでいるのでいろいろ留保しながら読んでしまいます。そもそも人間の画家が描いた絵であれば「描きたいもの」があるのか?という問いを経由しないと、AIだったらどうかという問いに辿り着けません。AIの画家が人間になりきれないという展開はありがちなので、捻り方に工夫をしたほうがいいと思いました(むしろ世界中の批評家に大絶賛されるすばらしい絵をAIが描いてしまいしかもそのことに誰も気づかない、ソーカル事件の美術版みたいな……と思ったけれどこれもありそう。。)お題としては挑戦的で愉しいので突き詰めてみてほしいです。歴史的な意味での原初の絵画(壁画)ではなく、より根源的なイメージの起源の話(鏡?影?記憶?それとも?)を参照してみるとか。壁画を真似したらAIにも絵画が描けるというのではややプリミティブではあれどけっきょく名画を真似しているのと同じなので、認知やイメージのしくみに切り込めるような話が考えられるといいと思います。このお話では絵画は画像データとして出力されているのでしょうか? 絵画においてカンバスに描くという物質性は重要だと思うので、カンバスにしないならそれなりの理由が必要だと思います。(河野)
- AIに自我とそれに伴うプリミティブアートの作成をさせるために、自分の内面に潜りながら自分の脳波を使ってAIを訓練していたら、最終的の脳の特定の部位が絵を描くAIっぽくなり、ノイズこそ書きたかったものだと理解を始めてしまうラストは面白いと思いました(AIに干渉しようとして、人間が不可逆的に変化してしまうという面白みがあります)冒頭、木村の依頼に笹井が応じる理由に関して、金以外になにか、例えばAIへの思いがある方が良さそうだと思いました(隣でAIの描いた同人誌がバカ売れしてるとか...はありそう)。壁画を教えればいいと思いつくところは流れ的に違和感がないのですが、その後の記憶の概念を持つニューラルネットワークの発明など、AIの発展に関してはいきあたりばったりな印象を受けました。自我、創造性、記憶とその神経基盤に関しては深堀りすればきりが無いので、深堀りせずに語る手立てがないと説明が増えてしまいそうです。また、AIと人の間に言語コミュニケーションが成立するのか(「あなたのための物語」のように)、それとも実験対象に外から刺激を与えるように一方通行なのか、など気になりました。(猿場)
KounoAraya 死なざるエメス
KounoArayaさんの死なざるエメス
- ロボットの権利を認めるか否かという筋書きならよくある話だと思いますが、権利のみならず罪を同時に認めろというロボットの主張のおかげで緊張感が増しています。罰してほしいという欲望がマゾヒズムなのかストイシズムなのかよくわかりませんが、あきらかに合理的主張でないのでそれをロボットが望んでいるという点が、ロボットと人間の境界を撹乱するので面白いです(非合理性というのはとても人間的ですよね)。「死なざるエメス」というタイトルは(元ネタがありそうだと思いつつ)本文の魅力がいまいち伝わらないので、実作を書く際には改めた方がよさそうです。(河野)
- 書き出しの引き込み方がいい感じですね。権利を認めさせるために死刑を望むという主張が人間社会のバグをついている感じがしてよい。お話としては、裁判官とメアリ以外の第三者的ポジション(人間社会の良心の代弁者として振る舞う弁護人など?)が必要そうに見えます。主人からの虐待を耐え忍び(ここで殺意は芽生えない、ロボット三原則的なものがある?)が自分から生み出されたもの(著作物)を奪われると怒りが爆発というのがこの世界の「目覚めたロボット」の価値観だと思うので、それに対して同情をよせる社会がどう描かれるのが楽しみです。俳優の設定は必要そうだけど、殺陣の設定はいらなそう(アクションしないし...)、”汎用人工知能”とはいえ、強さの度合いの設定は必要そうです。また、「…貴女はやはりロボットだ」のところはすごくよいので、対になる人間社会側の出来事や裁判がほしいような気がしました。(猿場)
花草セレ 穣りの雨に肌は焼け